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disscussion_20250706

  • 執筆者の写真: kachirou kano
    kachirou kano
  • 7月6日
  • 読了時間: 4分

いまさらの話


 Discordで参加しているゲームサーバーで、「東方原作の改造ツールに関して思うこと」というタイトルのブログ記事が貼られた。内容はツールそのものというより、ツールを用いる事を前提として活動する集団・イベントに関するものだった。こういう話に関するサークルとしての見解は以前の記事(https://kachiroukano.wixsite.com/gfw-kk/post/commentary_20220707_touhou_tools) に書いた通りであるから、内容を敢えて繰り返す必要はない。しかし東方を含めたSTGから離れている今、個人的な見解について再度書いておきたいと思い立った。

 端的に表現すると、自分以外の人間が作った創作物に許可なく手を加えて共有したり公開したりする行為には、創作作者個人や創作活動へのリスペクトが無いから賛同できない。100歩譲ってやるにしても、創作者から見えないように隠れてこっそりとやるのが良いんではないか。創作者に唾を吐くようなことを、大規模にイベント化して行うのはなぜ?それをあれこれと屁理屈を付けて、何か意義あること・素晴らしいこととして正当化するのはなぜ??他の記事でも書いた気がするが、コンテンツを改変するというのは、完成されたイラストに文字や絵を書き入れたり、切り貼りするようなものである。自分のイラストをそうやって扱われて、嬉しくなるイラストレーターが居るだろうか?なんで電子データなら構わないと思うのだろう。

 実は東方projectというコンテンツに限れば、そういう行動は全く理解できない訳でもない。東方project自体に他のコンテンツのパクリ(よく言えばオマージュ。咲夜はDIOのオマージュ(?))が含まれるから、完全な一次創作ではないと考えることができる。二次創作の世界では上記の「こっそりやる」というのが不文律になっており、二次創作の二次創作(三次創作)をやるのは「お互い様」になるから、表立ってケンカしないのだ。だから東方project側は二次創作者を一々捕まえたりしないし(数も膨大なので)、最近に至ってはガイドラインを作って守ったりしている。東方の同人イベントでは、原作を完全に無視したような二次創作物が溢れかえっている。こういう背景があるから、こどもが「東方projectは何をやってもいいんだ」と思い込んでしまうのは無理もない。つまり彼らはこどもの感性・思考のまま、幼稚なのだと思う。

 かくいう自分も東方projectの範囲で何冊か同人誌を書いた。頒布数はたいして多くなかったが、万が一原作者が内容を見ても問題ないように、最初から気を配っていた。ライセンス上の問題が起きないように、一切の収益は得なかった。自分のやっていることが、原作者に認識されたらどう映るだろうか?後ろめたいことは無い、恥ずべきことは無いようにしたい。人の褌で相撲を取るからには、そういう事を考えて活動する。東方であれTouhouであれ、名前を使うというのはそういうことだ。それが嫌なら、できないなら自立する(自分が原作者になる)ほかない。それが集団で、あるいは個人として活動するときに必要な良識というものだろう。翻っていえば、表立って活動しているのにそういうコントロールができていない人は良識に欠くように見えるということだ。そういう印象を持たれてしまうと、信用を得ることはできない。eスポーツとかプロゲーマーとか、ゲーム畑で経済活動をする人々の地位があまり向上しない、うさんくさいと思われてしまう理由はこういう所ではないか?別にゲームに限らないが、特にゲームは思考が成熟していない(少なくとも外からはそう見える)個人・集団が目立ちすぎる。ゲーム本体やゲーマーのコミュニティに形がないことが多いから、背景に居る人間のすがたを想像する力が十分に養われないのであろうか。あるいはゲーム制作に一定のスキル・ノウハウが必要でハードルが高く、作る側と遊ぶ側の壁が分厚い事が背景にあるかもしれない。

 話が逸れたが、とにかく悪いこどもの感性で活動する集団には、社会通念上同調できませんということ。当然その集団に存在する、創作物をこわす手段にも触れないし、肯定しない。しかし罪を憎んで人を憎まず。かれら個々人にはみずから成熟し、自立する機会があると信じている。自分は今後もリスペクトを持って創作物に、創作活動に向き合っていく。それだけだ。

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